薩摩藩第一次英国留学生
First Satsuma England Students     


薩長同盟以降の藩の人材育成政策の中で海外に留学生を派遣する事が重視され始めて来た


そして1865年2月15日、朝焼けの桜島を背景に、鹿児島から
伊集院に通じる急な坂道「水上坂」を登って


いく若い武士団があった。


一行は新納刑部・町田久成・畠山丈之助・村橋直衛・名越平馬・市来勘十郎・中村宗見・田中静州・東郷


愛之進・鮫島誠蔵・吉田巳二・森金之丞・町田猛彦(久成の三弟)・町田申四郎(久成の四弟)・町田清蔵


(久成の五弟)・磯永彦輔・高見弥一の17人の薩摩藩士だった。


監督役は新納刑部と町田久成。幕府の目を盗んでの密航である。行き先は、はるか西洋のイギリス。全員


が変名を使い、出張先は甑島となっていた。

15名の留学生と4名の使節から成る19名


写真に写っているのは以下の8名

 
田中 静洲(朝倉 省吾)    23

 
鮫島 尚信(野田 仲平)    21 

 
吉田 清成(永井五百助) 21
 
東郷愛之進(岩屋虎之助) 23 
 
町田申四郎(塩田権之丞) 19 
 
町田清次郎(清水兼次郎) 15
 
磯永 彦輔(長沢   鼎)      13 
 
寺島 宗則(出水 泉蔵)    33

 


鹿児島中央駅前にあり、1865年、鹿児島からイギリス

に留学した薩摩の若者17人を銅像にしたもの。


森有礼・五代友厚・寺島宗則といった教科書にも出てく

るような人物から、留学から帰ってきてからどうなったの

かも分からない人物まで様々だが、日本の近代化につく

した人々ばかりである。

Laurence Oliphant


ローレンス・オリファント(1829-1888)


1861年 英国日本公使館書記官


東禅寺公使館襲撃事件に遭遇し帰国後、英国国会議員と成る。


グラバーの紹介により第一次英国留学生達はロンドンで彼の世話

に成った。


旅行家にして神秘主義者であり、前半生を世界を股にかける大旅

行家と
して過ごし、後半生をトーマスレークハリスの信奉者として

送る。


薩摩藩英国留学生達を八リスのコロニーに誘う。


彼はその後、シオニスト運動に身を投じた。

Thomas Lake Harris


1823(文政6)年、英国フェニー・ストラトフォードで生まれ、五歳のときに

ニューヨーク州ユチカに移住。スエーデンボルグの神秘主義をベースに、


独自の神秘主義的 カルトを創設。


新生兄弟社(
Brotherhood of New Life)と名付け、 森有礼 、長沢鼎 など

を信者とした。

 

詩人でもあり当初ニューヨーク州を拠点とし、アメニアやエリー湖畔のブロク

トンにコロニーを建設。


同世代のクエーカー教徒などと同様、ユートピア建設に情熱を燃やした。
新生兄弟社 Brotherhood of New Life


ハリスは、日本については独特の価値を置いていた。

終末論的な色彩の濃い彼の教義にとって、当時の

西洋社会は堕落としかうつらず、救世主が再臨する

土地は日本かアフリカであるとしていた。


また、日本人留学生に対してキリスト教へ改宗を強制

せず、一方でハリス自身の教義が中心に女性神を据

えるなど神道に似たところがあったため、日本人留学

生に受け入れられたという指摘もある。

森有礼1847(弘化4)〜1889(明治22)
Arinori Mori


薩摩藩士。上野景範に英学を学び、イギリス、アメリカに留学。


T.Lハリスの精神的影響を強く受けた。


少弁務使として米国へ戻り留学生の世話や岩倉使節団の条約改正に奔走

帰国後「明六社」を結成し啓蒙運動に活躍した。


岩倉使節団に杉浦、大原、新島の
3名を現地参加させたのは彼の働きかけ

たかも知れない

薩摩藩は英国から軍艦を購入しようとしていたので仲は良かったが前年8月の生麦事件が原因となり、薩摩藩はイギリスと戦う

事になる。


英国は生麦事件の犯人の処罰と賠償金を薩摩藩に要求、藩主島津久光の首級を要求と誤って伝わり、薩摩藩は臨戦体制で臨

んだという説もある。


英国は五代友厚や寺島宗則が乗船する薩摩藩の汽船を拿捕、薩摩側は英国艦隊を砲撃した。


英国側は大砲の前に賠償金を入れた箱を置いて居たので直ぐには反撃が出来ず、旗艦ユーリアス号の艦長が戦死した。


西瓜売りに化けた薩摩の者が、陸からの空砲を合図に、イギリスの軍艦に乗りこみイギリス
人を斬り、船を奪い取るという計画も
あったが、イギリス側に見破られ失敗に終わった。


重俊も大山巌や多くの薩摩藩士と共にこの西瓜売り決死隊に参加した。

薩英戦争での働きに対し、重俊も功を賞され金弐両と感謝状を藩老中小松帯刀から授けら
れた。

この戦争の結果、薩摩藩は英国から進んだ技術を取り込む為に留学生を派遣する建議が
五代友厚らから為され、英国人グラ

バーの支援を得る事にも成った。


その後の談判の結果、薩摩藩は武器の調達や留学生の派遣を英国に依頼する事となった。


英国側は駐日英国公使 ハリーパークス、
駐日特命全権公使 アーネストサトウ、日本側は薩摩藩老中 小松帯刀が交渉を行な

った。

薩摩藩洋学開成所 

鹿児島の優れたところは藩校造士館から洋学に向くような学生を
60名から 70名選りすぐり開成所で学ばせた事だった。

その中でも
8 名から 9 名が英学専攻だった。

この開成所で洋学教育が徹底的になされていく中で、次の課題である
留学生派遣という ものが考えられるようになっていった。

1865年以降の留学生は薩摩
26 、長州 16、派遣先は英国と米国が多い英国を文明のモデルに考えていこうと考えて居た。

重俊も洋学開成所に学んだ。

留学生派遣までの流れ

嘉永6(
1853)  ペリー艦隊,浦賀に現れる

安政4(
1857)  島津斉彬が自ら留学生派遣構想を発案

文久2(
1862)  千歳丸 幕府第一次上海使節団、五代友厚,高杉晋作も乗船

文久
31863)   長州藩英国留学生(伊藤博文,井上馨,井上勝,遠藤謹助, 山尾庸三)  横浜港出港、ジャディーン・マセソン

商会が支援


文久3 
11月  薩英交渉基本合意 薩摩藩,英国への賠償金支払いを完了

元治1(
1864)  五代友厚,留学生派遣などを提案する上申書を藩庁に提出, 薩摩藩庁, 英国へ留学生派遣の件を決定

慶応元
(1865)  グラバー商会所有 の蒸気船オースタライエン号 (オーストラリアン号)に乗船し 串木野羽島浦から甑島への

出張と偽って英国へと向かう。


           薩摩藩は第一次英国留学生と重俊がメンバーだった第二次米国留学生の二つの留学生達を密航させている。
           
先ず最初に英国に向かった留学生達について述べる。

留学生の行程 
2/15  薩摩藩英国留学生15名鹿児島城下を出発

4/17 新納刑部らに引率され串木野郷羽島浦を出帆

4/25 午後2時頃香港に上陸し市中を散策

5/5   彼らを乗せた大型蒸気帆船マドラス号がシンガポ−ルに入港

5/15 セイロン島ゴ−ルへ入港、ベナールス号に乗り換える

6/9   アデン経由蒸気車でカイロに到着

6/16 スペインのジブラルタルに到着

6/21 英国サザンプトンに到着、羽島出帆から約2か月が経過

7/25 長州藩の山尾庸三の案内でロンドン市内に出る 

長州藩留学生との遭遇 

畠山義成洋行日記によると「昨日はホーム長州人に途中にて鳥渡(ちょっと)遇い候由、今日此方に来るの時も又々遇い委敷

事(くわしきこと)相分からず候えども、三人一昨年より当地へ来り分理学稽古致候哉にホームより聞及候」とライル・ホームがロン

ドン市街で偶然に長州藩留学生と遭遇したと書かれている。(閏5月2日)


閏5月
11日、長州藩士・山尾庸三の誘いで、大学のスポーツ大会を一緒に観戦しに行っていることが、畠山の日記に記されて居

る。


その後も薩摩藩と長州藩の留学生である、山尾庸三、遠藤謹助、野村弥吉の交流は、永く続いた。山尾が造船学を学ぶために、

スコットランドのグラスゴーに行こうとした際にも、学費に窮して旅費の工面が出来なかった山尾に対し、薩摩藩の留学生達が1ポ

ンドずつカンパしあい、16ポンドのお金を旅費として山尾に貸し与えた。

英国到着後の留学生達の行動(1865)  
   
 
松木弘安は英国政府外務次官レイヤードと会見し,雄藩連合政 権樹立の構想に基づき,英外務省の協力を要請UCLウィリア

ムソン博士の案内でロンドン郊外ベッドフォード鉄工所を見学新納,五代,堀の3名,英国内視察旅行に出発磯永彦助(長沢鼎

),スコットランドのアバディーンへ出発


留学生全員,ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの法文学部に入学


新納,五代,パリに行き,モンブラン伯爵に貿易商社設立に関する仮条約覚書を交付する。松木弘安,ラッセル内閣の外相クラ

レンドン伯と会見し,具体的交渉に入る。


薩摩藩米国留学生一行,ロンドンに到着,
UCL を訪ね畠山,松村,森と会う。 

新納刑部    薩摩藩最後の家老、大島支庁長 、司法省判事

松木安右衛門 初代外務卿、一貫して明治外交を支える、元老院議長


五代才助    
経済界で活躍、大阪商法会議所初代会頭

堀壮十郎    
通訳、五代とともに経済界に貢献 (長崎出身)


町田民部    
国立博物館建設に尽力、初代館長


畠山丈之助  
東京開成学校(のちの東京大学)初代校長


名越平馬     不明


村橋直衛      
北海道開拓使として、サッポロビールの前身となる札幌麦酒醸造所創設

田中静州      生野銀山局長、日本の鉱物開発に貢献


鮫島誠蔵      外交で活躍、駐仏公使など3カ国の公使を兼任し、パリで客死


市来勘十郎   
松村淳蔵、海軍で活躍、海軍兵学校校長

森 金之丈     森 有礼 、初代文部大臣、外交と教育の両面で活躍

高見弥市      数学教師、鹿児島大学の前身の県立中学校造士館で教える
(土佐出身)

東郷愛之進    戊辰戦争で戦死


吉田巳二      駐米全権大使などをへて、枢密院顧問官


磯長彦輔     長沢 鼎 、米国に永住、カリフォルニアの“ブドウ王”

町田申四郎   小松帯刀の養子となる 
(町田久成の弟)

町田清蔵     のち財部家を継ぎ、財部実行 
(町田久成の弟)

中村宗見     オランダ大使など歴任

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